【解説】大企業以外にも広がっている「大企業病」のメカニズム

ここ最近、「大企業病」を裏テーマに対話をしてきました。実際に大企業から、大企業の出身者、ベンチャー、中小企業、NPO、行政関係者などなどたくさんの方と。そうすると大企業病ではなく、共通した日本の社会問題が見えてきました。こりゃまずい。本当に世の中が変わらないと僕は僕の大好きな家族を幸せにできない!という危機感が募りまくっています。 考えてみると日本の社会活動に現役で関与できるのはひいき目で見ても80歳ぐらいまで。そして80年前は1938年。日本は第二次世界大戦に向かっていく頃です。その世代が次に経験したのは戦後とその復興。そして世界に追いつけ追い越せ、モーレツ社員の高度経済成長期。そのあとは一瞬バブルがあって、バブル崩壊。阪神淡路大震災でさらなるショック。IT革命で戻るかと思った2000年代初頭も崩れ、その後のリーマンショックで景気回復は遅れた矢先に東日本大震災。さらには熊本地震に西日本の豪雨被害。考えてみればずーっと追い詰められてきていて、なんとかいいポジションをとるために個人レベルでは競争しっぱなしだったんだなと感じています。 だから僕たち個々人はとにかく「自信がない」。追いかけらえて追い詰められて頑張ってきたからとにかく疲れていて、そして未来に希望が持てない。むしろ失望している。老後は何とか、と思ってせっせと貯金。けれども年金も崩壊していくし、利率も悪い。優雅な老後なんてあと10年もたてば夢の世界になってしまいます。 ゆえに個々人は安定志向がとっても強い。安定したいから大きなものに頼りたい。大きな組織、安定した組織に依存したい。そして依存しているがゆえに周囲に同調する。依存するものを安定させるために、異質な存在に自分がならないように最大限注意して、異質な存在は排除して、悪い村社会を作る。そして「形骸的な信頼関係」をつくってなんとか自分の居場所を創っていく。表向きはちゃんとしてますよ、的な感じです。 こんなことが社会のあちこちで、会社組織の運営だけでなく、小中学校の教育も、地域社会も起きていると”当たり前”のことだと刷り込まれていく。認知バイアスというやつです。変なことでも、おかしいことでも疑わない。なぜならほかの世界を知らないから。そしていかに自分が生き残るか、つまり「生存目的重視」の状態が出来上がる。自分の居場所を守るための保身的なアプローチと、少ないパイを